実践理性批判 道徳的な社会人から超人へ

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 カントは、「汝の意思の格率(個人の意思の主観的原則)が常に同時に普遍的立法の原則として妥当しうるように行為せよ」と述べている。カントは「自発的意思」のなかに人間の人間たるゆえんを見ているが、個人の格率が他人の格率、さらに社会全体の人の格率になるように行為することにより、社会的秩序が守られるのだと主張している。

 私は、こうしたカントの考えを「人間は自由な存在だが、自己と同じように他者も尊厳ある自由な存在として敬意を払って行動しなさい」といった意味だと解釈している。

 出典があるのかどうか定かではなく、どういった経緯でいつごろから意識しているのかも不明なのだが、私の気にいっているフレーズの一つに「大人とは、価値観の多様性を認識して行動できる人。優しい大人は、その価値観の成立過程を理解しようと努める人」との言葉があるのだが、ひょっとするとカントにも根っこの一部があるのかもしれない。

 カントは話題も豊富な人で、また、彼の散歩の時間に合わせて通り道の人たちが時計の針を合わせたとの逸話もあるくらい、規則正しい生活を送っていたようだ。

 振り返ってみると、私の社会人としての倫理観はカントに影響された部分が大きいように思える。

 昔、大学のサークル仲間たちと会津方面に合宿に行った際、酔って民宿の親父さんと『ツァラトゥストラはかく語りき』について話した覚えはあるのだが、内容はまったく記憶に無い。

 これまであまり関心は無かったが、これからはカントの倫理観から少し離れて、ニーチェの提唱する「自己肯定」「自己創造」的な生き方をしてみようかとも思う。

                   © 2016 CounselingRoom"D"


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