純粋理性批判 アンチノミーとシュレディンガーの猫

水彩①.jpg
 倫理・社会の授業の一環であったか、夏休みの読書感想文であったか覚えていないが、高校時代に『方法序説』『意思と表象としての世界』『純粋理性批判』の中から一冊を選んで小論文を提出するという課題があった。
デカルトを選択した者がもっとも多く、次がショウペンハウエル、カントを選んだのはクラスで私ひとりであった。

 カントは、「物事を突き詰めれば突き詰めるほど、つまり認識の限界を超えることを思考すれば、必ずアンチノミー(二律背反・お互いに矛盾する二つの命題が同時に存在できてしまうこと)に陥る」と述べている。これは、どちらでも良いということではなく、どちらも真、あるいはどちらも偽という結果が成立するということである。
 この、認識の主体は人間側にあって、視点によって対象が変貌するという発想の「コペルニクス的転換」は非常に興味深い。

 ナノテクノロジーの研究者から「観察には電子顕微鏡を使うが、ナノレベルでは電子線を当てることによって対象物に影響を与えてしまうことがある」という話を聞いたことがある。また、量子力学の分野では、「この世は人間が認識するまで存在しない」と言われているし、「シュレディンガーの猫」のパラドックスもSFでは以前から有名だ。

 「似て非なるもの」との認識はあるが、素人にはこうした考え方がとても面白く感じられて、いろいろと想像の翼が広がる。今でこそ『哲学』は文系に分類されているが、中世の大学では『哲学』は諸学の基礎であったという。今でもそうなのかもしれない。

                   © 2016 CounselingRoom"D"


この記事へのコメント


この記事へのトラックバック