伊勢物語② 世の中に and つひにゆく

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 『 世の中に たえて桜の なかりせば
        春の心は のどけからまし 』

 「桜」を嫌なことや辛いことに置き換えて、「私の心はのどけからまし」などと思うこともあったが、平安時代の歌にも詠まれるほど日本人は昔から桜が好きなようだ。華やかに開花して、短期間で散ってしまう儚さに心惹かれるのであろうか?
 子供の頃から「猫派」の私は桜がそれほど好きではない。梶井基次郎の「桜の樹の下には」がトラウマになっている訳でもなかろうが、他の花々と同じように「きれいだな」と思う程度である。もちろん、人並みに桜の時期になると職場の同僚や友達に誘われて花見に出かけることはあるが、そんなに桜に心を動かされることはない。
 桜より梅が好きだ。闇の中にほの白く浮かび上がり、微かに漂ってくる香りに色香を感じる。


 『 つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
         きのうけふとは 思はざりしを』

 業平の辞世の歌として人口に膾炙している。
 当時は既に仏教が伝来しており、死後の世界の概念もあったと思われるものの、この歌に対してはキリスト教の影響を受ける以前の「メメントモリ」的な意味合いの印象を抱いている。深く考察したことはないが、業平のイメージが投影された解釈かもしれない。
 また、こうした死生観に接した際には、正岡子規の「余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった」という言葉が頭をよぎる。
 私の中で、5年後、10年後にこれらの意味がどのように発酵しているのかも楽しみではある。

                   © 2016 CounselingRoom"D"


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